東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ

漱石文庫について

「漱石文庫」は、夏目漱石(慶応3年(1867)~大正5年(1916))の旧蔵書、日記・ノート・試験問題・原稿等の自筆資料、その他漱石関係資料等から構成されている。漱石旧蔵書のほとんどを収め、洋書約1650冊、和漢書約1200冊の図書が文庫の中心であり、洋書の中には漱石が英国留学時に購入した約500冊の図書も含まれている。全体の量は、学者の蔵書としては決して多いとは言えないが、しかし漱石自身による書入れやアンダーラインは、蔵書全体の約3割にも及び、蔵書の殆どが、漱石が実際に手に取り読んだ本、あるいは読もうとした本である点が漱石文庫の最大の特徴であり、研究者たちの注目を集める所以であろう。
 この文庫が本学に譲渡されることになったのは、当時の本学附属図書館長で、漱石の愛弟子でもあった小宮豊隆(1884~1966)の尽力による。搬入は、昭和18年(1943)からはじまり、昭和19年3月に完了した。漱石山房があった早稲田南町は、昭和20年3月10日の空襲で焼けてしまったから、 この漱石研究の重要資料は、本学に移されたことで焼失を免れたことになる。ちなみに小宮豊隆は、漱石文庫の受入の事情について、次のように回想している。

漱石の藏書がほんの僅かの篤志家だけに利用されるのでは勿體ない。なるべく多くの漱石研究家の役に立てるには、どうするのが一番いいかといふのが、曾て我我の問題だった。そのためには漱石の書齎、書齎の調度、本棚、藏書などを遺族の住居から截り放し、漱石博物館とでもいふようなものを作るのが一番いいといふことになつたが、しかし時勢が時勢だつたので、それに必要な費用の調達しやうがなく、たうとうそれは斷念して、藏書だけでもどつかに寄附するといふことに方針を變更しなければならなかつた。(中略)
 いろいろ考へた末、丁度私が仙臺の大學の圖書館長をしてゐた關係上、漱石の藏書を思ひ切つて仙臺へ寄贈してもらふことにした。仙臺の大學ではヴント文庫だのシュマルソウ文庫だの、その他いろいろの文庫が一纏めにして別置してある。のみならず狩野亨吉の藏書やケーベルの藏書のほとんど全部も、大學の圖書館に來てゐる。狩野亨吉は漱石の親友であり、ケーベルは漱石の敬愛してゐた先生である。利用の面から言つてあまり適切であるとは言へないが、しかし狩野文庫とケーベル文庫とがある中に、漱石文庫があることは、きはめて自然なことであるといふことができる。漱石文庫にもし靈があるとすれば、その靈はむしろ仙臺に來ることを喜ぶに違ひない。それで私は部屋の都合を無理につけて、ケーベル文庫と漱石文庫とを一室に別置し、その部屋にケーベルの寫眞と漱石の寫眞とを掲げることにした。
(「漱石文庫」『人のこと自分のこと』)

 上に述べられているように、漱石文庫は、当初は小宮豊隆の意向で恩師ケーベルの文庫と並んで保管されていたが、その後の図書館移転等により、現在は全体が貴重書庫に納められている。昭和46年(1971)に『漱石文庫目録』が作成され、さらに仙台文学館開館に伴い、仙台市と共同でマイクロフィルム化を進め平成9年度末に完了した。

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