昨年(2024年)、工学分館では八木・宇田アンテナの発明で知られる宇田新太郎博士の自著旧蔵書15冊を「宇田文庫」としてコレクションに指定した。
この新たなコレクションの設置を記念し、宇田文庫設置記念展示「宇田新太郎-研究者として、一人の人間として-」(以下、本展示)を開催した。
なお、本サイトはオンライン版としてコンテンツを再構成したものである。

画像出典:『宇田新太郎先生』冒頭
宇田は、東北帝国大学(現・東北大学)工学部電気工学科で学んだ後、講師として超高周波工学の研究に従事。1927年に助教授に就任、1932年9月よりアメリカおよびドイツに留学後、1936年に教授に就任する 。電波工学の研究と教育に尽力し、1960年に東北大学名誉教授の称号を授与された。
宇田の業績の中でも特に高く評価されているものの一つに、八木・宇田アンテナの発明が挙げられる。同じく本学名誉教授であり、宇田が師事した八木秀次博士とともに開発したこのアンテナは、現在のテレビ受信用アンテナとして広く普及している。
この業績は、後にIEEEマイルストーンに認定され、本学片平キャンパスに記念碑が設置されている 。
※「宇田新太郎先生略歴」および「履歴」(『宇田新太郎先生』「宇田新太郎先生」刊行会, 1978)をもとに構成した。
1896(明治29)年 富山県下新川郡船見町に生まれる
1918(大正7)年 広島高等師範学校数物化学学科卒業 長野・新潟で中学校教諭を務める(~1921年1月)
1921(大正10)年 東北帝国大学工学部電気工学科入学 同大学大学院進学後、途中退学 工学部講師に着任
1927(昭和2)年 同大学助教授
1931(昭和6)年 工学博士取得 帝国学士院東宮御成婚記念賞を取得 電気工学研究にて米国留学
1936(昭和11)年 東北帝国大学教授
1960(昭和35)年 東北大学名誉教授 法政大学教授着任
1961(昭和36)年 神奈川大学教授着任 紫綬褒章受章
1966(昭和41)年 勲二等瑞宝章受章
1967(昭和42)年 神奈川大学理事着任
1970(昭和45)年 IEEEフェロー着任
1971(昭和46)年 神奈川大学定年退職
1976(昭和51)年 逝去 従三位勲二等旭日重光章受章
宇田文庫とは、宇田のご遺族よりご寄贈いただいた宇田の生前の旧蔵書15点を工学分館としてコレクションに指定したものである。
資料を開くと文章に赤鉛筆で線が引いてあったり、 裏の奥付には宇田の印鑑が押してあったりする。
本企画の主要参考文献のひとつであり、宇田文庫にも指定されている『宇田新太郎先生』について紹介する。
本資料は『宇田新太郎先生』出版委員会によって編纂され、1978年に刊行された文集である。本書のあとがきに、同委員会の三木正一委員長が本書作成の経緯を以下のように述べている。
毎年の行事となっている宇田先生を囲む会が国鉄ストのためお流れとなった五十一年、突然先生がなくなられ幹事を仰せつかっていた私は全く途方にくれた次第でした。翌五十二年先生の一週忌に先生を偲ぶ会を開催し、その場で先生を偲ぶ文集を作ることが決定されました。
本資料の構成は以下の通りである。
宇田の著作として「短波長ビームに就いて」等の論文のほか、学会誌や雑誌に寄稿された随筆文や解説も掲載されている。特集企画の3つ目で紹介する学生参加企画で使用した「テレビの未来図」はこのうちの一つである。
先生を偲ぶ文には、本学名誉教授であり、宇田の弟子としても知られる虫明康人博士をはじめとした宇田の教え子14名による宇田一周忌に寄せた随想文が収録されている。
『宇田新太郎先生』に収録された宇田の履歴から、特に重要な事柄や本学と関係が深い事柄を抜粋し、年表形式に整理した。写真は『宇田新太郎先生』に掲載されたものを使用している。
また、『宇田新太郎先生』には教え子たちによる宇田とのエピソードが多数収録されている。そこで本企画では印象的なエピソードをいくつか選び抜粋した。また、年代が分かるエピソードについては年表に盛り込んだ。以下では年表におけるエピソード⑦を紹介する。時代背景と合わせて宇田の人生を想像してみてほしい。
「戦後の御研究と御指導」【虫明 康人】
時あたかも第二次世界大戦の末期で、宇田研究室は間もなく山形県に疎開し、引続いて戦後の混乱時も山形に留まったが、宇田先生御一家の疎開された東村山郡明治村(現山形市)に下宿したのは私一人だけであった。そのため私は公私両面に亘って慈父の如く温かい御指導を受けることができた。また、昭和二一年夏、私が過労から病気になった時には、先生御自ら桂外科の教授室に直接私を連れて行って下さり、直ちに診察を受けさせて下さった。そのお陰で私は大事に至らず全快することができた。
その後研究室は山形から引揚げ、大学に帰って本格的な研究を再開した。先生は当時の傾向として、直ぐに役立つ研究にかなり重点を置かれたが、先を見越した学問的研究もまた同時に評価された。例えば、八木宇田アンテナの設計法の研究には、執念に近いまでの強い意欲を持ち続けられた。(出典:「宇田新太郎先生」p.83)
東北大学におけるアンテナ研究の流れというコンセプトのもと、八木秀次博士をはじめとした宇田を取り巻く人物たちとの関係性を相関図にまとめた。当館所蔵の関係文献を参考に作成し、本学工学研究科の陳強教授、澤谷邦男名誉教授からもご助言をいただいた。
パネルに使用した人物写真については、本学のデジタルアーカイブに収録されている画像のほか、本学工学研究科情報広報室や、宇田並びにその関係者と関わりがあった本学の佐藤源之名誉教授から提供いただいた。
工学分館で夜間アルバイトとして勤務している学生スタッフ10名を対象に、『宇田新太郎先生』に収録された記事「テレビの未来図」を読んでもらい、その感想を200字程度でまとめてもらった。
「テレビの未来図」は、1964年当時に宇田が思い描いた十数年後のテレビの進化像について述べた記事であり、既に実用化されている超小型テレビやレーザ・テレビ等についても触れているものである。
学生には、自身の研究活動とも絡めながら、自由な視点で感想を述べてもらった。学生から寄せられた感想の中には、「テレビの未来図」で宇田が描いた未来予想図を通じて、科学の発展において夢を持つことの重要性を実感したという声が多く見られた。こうした感想から、宇田の思いが学生自身の研究活動に前向きな影響を与えたように思われた。
寄せられた感想を以下に紹介する。
●宇田先生の空想の数々は、執筆から約60年後の現在、どれも現実のものとなっている。(中略)先生のように、未来を空想したり、夢を膨らませたりする人間がいたからこそ、このような技術が実現されてきたと考えると、わたしたちの空想や夢の範囲内にあることは、近い将来に実現されていくのではないかと希望が膨らむ。
●「テレビの未来図」は宇田先生の先見の明を表す文章である一方、60年後の2025年現在、研究活動を始めようとしている私自身の動機ともなる。私たちが行っていく研究は実用化からはまだ遠い、基礎的な研究であることもしばしばだ。しかし、2025年現在、1964年当時になされていた研究が実用化され、現在ではさらに進んだ技術に置き換えられているものもある。この事実は研究が行き詰まった時、助けとなってくれる気がしている。
●機械は繁殖能力がないから、どう使うかは人間次第という言葉も、現在の人工知能に対する懸念によく似ていると感じる。科学の進歩を予測し、適切に使うことの重要性を改めて感じる機会となった。
●この文章に触れて私の中で「テレビ」に対するイメージが大きく変わった。当たり前に身近にある単なる娯楽の箱という以上に、過去の技術者の夢の詰まった状態であると気づかされた。
宇田の著書と、宇田に関係するキーワード(アンテナ、富山県、斎藤報恩会)で選んだ図書をリスト化した。全て貸出可能のため興味のある方はぜひ手に取っていただきたい。
本展示では,本学大学院工学研究科 教授 陳強先生,東北大学名誉教授 澤谷邦男先生,東北大学名誉教授 佐藤源之先生,東北大学工学研究科総務課総務係にご協力いただきました。
<展示実施報告>
「宇田文庫」設置記念展示
『宇田新太郎 -研究者として、一人の人間として- 』
開催期間: 2025年11月10日~11月21日
開催場所: 工学分館1階ホール
主 催 : 東北大学附属図書館工学分館
協 力 : 東北大学大学院工学研究科 教授 陳強先生
協 力 : 東北大学名誉教授 澤谷邦男先生
協 力 : 東北大学名誉教授 佐藤源之先生
協 力 : 東北大学工学研究科総務課総務係
詳細報告
東北大学附属図書館工学分館「宇田文庫」設置記念展示実施報告(『東北大学附属図書館調査研究室年報』第13号,2026年)
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