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東北大学附属図書館/本館 平成12年度企画展 |
▼18世紀、英仏を中心に西洋では博物学が黄金時代を迎えていた。これが後の生物諸学の母体となったのは周知の事実である。そして当時、世界的に見ると、体系的・網羅的な記載の学としての博物学が発達していたのが、西洋諸国のほかでは唯一我が国に限られるらしいことも次第に明らかになってきた。最近、長い間書庫に埋もれていた、江戸博物学の成果である華麗な細密画の図譜が各地で展示されるようになり、多くの人の目にふれるようになったのは喜ばしい限りである。▼西洋博物学の推進力は、世界をほぼ分割した後、植民地から生産をあげるための基礎調査が求められたことであった。つまり、植民地から得られるものの「在庫目録」が必要とされたのである。そしてもっとも効果的な目録作りの方法とされたのが、現在も学名として用いられているリンネのいわゆる二名法であった。当時の我が国はもちろん、この世界分割に関与することはなかった。我が国の博物学発達要因は、当時の薬学「本草学」の全漢字文化圏におけるスタンダードであった『本草綱目』の解釈が、鎖国という特殊な条件のもとで行われたために成立した「名物学」の延長線上にあるとされる。すなわち、中国の文献にある薬になる自然物が、我が国の何に当たるのかを、我が国の自然物研究をふまえて文献学的に追求するうちに、分類作業が薬効の有無を離れて自然物全体に及んだ、というのが、我が国の博物学のアウトラインである。たしかに、博物学で最も重要な分類・命名の方法は、江戸時代を通じて一貫して『本草綱目』のものが踏襲された。
▼しかし我が国の博物学に関与したのは本草学者たちだけではなく、エンサイクロペディストや探検家、市井の好事家、さらには大名たちと、じつに多彩で、しかもその動機には、領地の物産振興や、琉球や蝦夷地の経営など、あたかも西洋の植民地支配に比較しうるものまである。
▼この講演では、我が国固有の博物学の発展史について、その重要な転回点が多い18世紀を中心に、その発達を促したさまざまな要因をふまえた最新の素描を試みたい。
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