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第4部:仙台藩の食と名産品  (2)庶民の食事

 江戸時代、仙台藩において庶民といえば、その大部分は農民であった。ここではその農民の食事に関するものを中心に展示する。藩政時代、仙台藩は米作りに力を入れ、一七世紀に大規模な新田開発を行った結果、米の生産高は約一〇〇万石にのぼった。藩は、経済政策の一つとして「買米制(かいまいせい)」を布き、農民が年貢を納めたあとの余剰米を全て買い上げた。

一方、寛文8年(1668)、藩は「百姓条目」で農民が米を食べるのを禁じた。農民も米のほかに換金作物があまりなかったので、年貢以外の貢租を納めるため米を換金せざるをえなかった。このような訳で、村には食料にするための米がわずかしか残らなかった。  藩によって買い上げられた米は、江戸へ運ばれた後、転売され藩財政の大きな支えとなった。江戸ではこの米を「本石米(ほんごくまい)」と呼び、江戸の米相場の基準となった。

 江戸の庶民が普段仙台米を食べているときに、仙台藩の農民の主食は、麦・粟・稗・大根・大根の葉などをいれた「カテ飯」であった。白米だけのご飯は「いっそ飯」または「えっそ飯」と呼ばれ、正月などめでたいときに食べるごちそうであった。おかずは漬物と梅干、それにみそ汁が基本であり、みそ汁には具の野菜をたくさん入れておかずにした。

これらの野菜や梅干、みそはすべて自家製で、このほか醤油や油、納豆や豆腐までも自分の家で作った。油は菜種を栽培して、自宅にある油締め機で絞って使った。醤油を作るのは労力と時間のかかる仕事で、作り始めてから使えるまで、1年を要した。調味料として普段使うのはみそと塩で、醤油は正月や来客があったときに、うどんなどを食べるときだけに使う貴重品であった。

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