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第4部:仙台藩の食と名産品  (3)仙台藩の名産品 ―仙台味噌・白石温麺・鮭製品―

 江戸時代の仙台藩は、現在の宮城県と岩手県南部に相当し、他の東北諸藩に比べ、穏やかで過ごしやすい気候の地であった。このような風土が産んだ名産品のうち、ここでは@仙台味噌 A白石温麺 B鮭製品の3つを取り上げた。

◇仙台味噌
 「仙台味噌」は、先に述べた仙台米と並んで、江戸の食文化に大きな影響を及ぼした。濃厚な旨味と深い香りを持った赤褐色の辛口味噌は、甘口の「江戸甘味噌」と並んで、江戸っ子の人気を二分した。現在でも「仙台味噌」の名は赤味噌の代名詞ともなっている。

 仙台味噌の歴史は、藩祖伊達政宗の時代まで遡ることができる。政宗が仙台の地に城を築くと、城内に大規模な味噌工場「御塩噌蔵」が設けられた。この御塩噌蔵の御用味噌屋であった真壁屋市兵衛が、寛永3年(1626)に初めて「仙台味噌」の看板を掲げ味噌の販売を始めたと伝えられている。

 仙台味噌の名が江戸において知られるようになるのは、17世紀半ば以降のことである。当時の江戸には三千人をこえる仙台藩士が常駐していたため、大井の仙台藩下屋敷では、御塩噌蔵と同じ方法で味噌の醸造が行われていた。やがてこの味噌は、余剰生産分を江戸の味噌問屋が買い請け、「仙台味噌」として販売するようになる。このことから「仙台味噌」の名は江戸中に広まり、大井の仙台藩下屋敷は「味噌屋敷」とも呼ばれた。

◇白石温麺(うーめん)
 政宗の重臣片倉小十郎景綱の城下町白石の名産で、寒葛、和紙とともに「白石の三白」として名を馳せたのが「温麺」である。佐久間洞巖が仙台藩の地誌について著した『奥羽観蹟聞老志』では、「雲麺」の名で「千絲白髪」のような麺と紹介されている。伝承によると元禄2年(1689)、白石の酒造家大畑屋鈴木家の浅右衛門が、病気の父親のために油を使わないそうめんを作ったのが始まりとされている。やがてこの麺は評判となり、片倉家から伊達家へ献上品として用いられた。

◇鮭製品
 東北地方は古来より鮭の良質な漁場であった。江戸時代の仙台藩では大量の鮭の加工品が藩に納められている。これらは「ハレの日」の儀礼食や、贈答用に用いられた。
 鮭製品の中でも特徴的なのが、塩鮭の腹に塩蔵の筋子を納めた「子籠鮭(こごもりざけ)」である。江戸時代の諸大名に関するあらゆるデータを網羅した『大成武鑑』では、伊達家から将軍家への贈答品リストの中に、この子籠鮭が挙げられている。また、仙台城二の丸跡から「御子籠」と書かれた木簡が出土しており、藩の統制のもと鮭製品の生産がなされていた様子が窺える。

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