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第4部:仙台藩の食と名産品  (1)伊達家の食事

 ここでは、伊達家の料理を正月料理を中心に展示する。伊達家の正月料理は何度か再現が試みられており、文献以上の想像力を与えてくれる。その復元の一つの根拠となっているのが『木村宇右衛門覚書』である。『覚書』は伊達政宗言行録というべき性格のものだが、その中から正月料理だけを抜き出してみる。

まず奥田餅という大きな菱餅二種が饗され、つづいて先祖のための精進膳、組付、雑煮、さら三の膳まである本膳、七種の肴、餡餅等の御茶請、果物類の御菓子、最後に薄茶で構成される。海鼠(なまこ)、白鳥の珍味の他、海鞘(ほや)、鮭子籠(さけこごもり)、布海苔等の郷土の名産品が並ぶ豪勢なものであった。

仙台の雑煮と言えば干ハゼの出汁が有名であるが、政宗の雑煮の材料は串鮑、串海鼠、鰊、牛蒡、豆腐、大根、黒豆、菜の茎であった。一方最後の藩主慶邦(よしくに)の正月料理は『大童(おおわらわ)家文書備忘録』、通称『伊達家年中行事記録』に残されている。こちらも復元料理の参考にされているが、両者の記録を比較すると、少なくとも品目名はほとんど変わっていないことがわかる。

行事食・儀式食が変更されていないのは、行事・儀式の内容を正確に伝えようとする意志が働いていたためと考えられ、『年中行事記録』にはそのような意志の一端を垣間見ることができる。料理名だけでなくどのタイミングで出すのかや誰がどこに座るかということまで事細かに記されている。橘川常房(きっかわつねふさ)の『料理書』、『四季献立式』、『仙台料理書』も同様の目的で作成されたと考えられる。

 正月行事はほぼ一ヶ月に渡って続くのであるが、三日に野初(のぞめ)という行事があった。これは軍事訓練で青葉神社にはその模様を描いた絵馬が奉納されている。その野初の際、立ち寄っていたのが案内名物湯豆腐菅野である。案内は現在の宮城野区東仙台の旧地名であるが、湯豆腐菅野は元禄から宝永・正徳の頃の創業ではないかと言われ、明治二十年代まで同所で営業していた。七代藩主重村が名物の看板を与えた。『年中行事記録』にも野初で案内に行く場合についての記述がある。

菅野氏所蔵の『案内湯豆腐書留帳』を見ると、野初、鷹狩、塩竃神社参詣、瑞巌寺墓参等の場合に、藩主が立ち寄っていたことがわかる。『奥州名所図絵』にはその店の様子が描き残されており、塩竃街道沿の賑わいが伝えられる。案内の説明には「からき大根に蕃椒すりがて、柚の香り根葱の匂ひも、とりまじえたる」とある。柚は菅野家自家製で昭和20年代までは柚の大木が2本植えてあったと言う。

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