東北大学附属図書館主要特殊文庫紹介

文庫一覧に戻る
1.阿部文庫

  東北帝国大学法文学部教授であった阿部次郎(あべ じろう 1883〜1959)の旧蔵書。阿部は東京帝国大学哲学科を卒業後、専門の美学や倫理学の方面の著作で理想主義、人格主義を掲げる。もっとも名高い『三太郎の日記』は、知的青年の内省を描いて旧制高校学生などの間に多くの読者を得た。また雑誌『新思潮』主幹として、同じく夏目漱石門下の和辻哲郎、安倍能成、小宮豊隆らと共に、大正教養派の代表的存在として知られていた。
  「新学部の創設に参与するの意義を感じて」本学に赴任した阿部は、法文学部のスタッフとして創生期から尽力し、大学の管理運営に携わった。また初代の美学講座教授として、ゲーテを中心にダンテ、カント、ニーチェなどの講述を行った。一方で外遊を機に、日本文化研究への使命を感じ、大正15年に小宮と共に芭蕉会を起こした。そこでは同僚の山田孝雄、村岡典嗣、岡崎義恵、太田正雄(木下杢太郎)らと連句に親しみ、さらに西鶴、宗祇、記紀歌謡に研究を進めた。敗戦を経て、阿部の思いは「武力と資本力の背景を恃まぬ新文化国家建設」の覚悟に到ったという。
  阿部は昭和16年7月に法文学部長となったが、病により翌年3月に辞任。昭和20年の退官後、24年から書籍購入などの準備が始まり、昭和29年に到って念願の「阿部日本文化研究所」が仙台市内米ケ袋に設立された。昭和34年に阿部が逝去した後、38年に研究所の施設一切が東北大学に寄贈されたのに伴い、文学部に附属日本文化研究施設が発足し蔵書5.190冊を受け入れた。さらに同施設が東北アジア研究センターに発展解消したことから、平成10年に図書館へ移管された。 資料説明

2.石津文庫

 東北大学文学部教授(宗教学宗教史専攻)で第11代学長を勤めた石津照璽(いしづ てるじ 1903〜1972)の旧蔵書。石津は、仏教思想からキルケゴール、フォイエルバッハ等の西洋思想まで広く研究し、「宗教の根拠に関する研究」で博士の学位を得た。また日本宗教学会会長を務めるなど、学会で果たした役割も大きい。学内でも学生部長、文学部長、学長を歴任したが、昭和40年に東北大学移転問題等に関して学長を退いた後、41年に停年退官を迎え、慶応義塾大学教授に転じた。
蔵書の内容は、全体の7〜8割が哲学および宗教関係書で占められる。量的には『大日本仏教全書』『仏教大系』『大正新修大蔵経』等の叢書・全集が多いが、石津宗教哲学の支柱とも土壌ともいうべき哲学、社会学、文化人類学を核にすえ、また心理学、精神医学の書籍も、書架上に特徴づけられ配置されている。書き入れ本の多いことも特色として挙げられる。
 その他、各界高名の学者たちからの献呈本の数々が、宗教学会に重きをなした石津教授を偲ばせるとともに、改めて石津宗教哲学の広がりを示している。さらには、石津個人を離れて、宗教哲学の分野における当時の問題関心や方向性といった、研究史をたどる手がかりを与える側面を持つ。
 昭和54年度に整理が終了し公開された。 
資料説明

3.伊東文庫

 東北大学文学部教授の伊東信雄(いとう のぶお 1908〜1987)の旧蔵書。伊東は仙台市に生まれ,旧制第二高等学校を経て東北帝国大学法文学部を卒業した。同大学講師,第二高等学校教授,新制東北大学教養部教授と歴任し,考古学講座開設に伴い文学部に転じて文学部長を2期務めた。昭和46年(1971)の停年退官後も東北歯科大学教授から東北学院大学教授へと,一貫して東北地方で教育研究活動を続けた。
 仙台藩士伊東氏の子孫であり,伊達騒動に登場する伊東七十郎重孝を一族に持つ。専門の考古学にとどまらず古代から近世まで仙台,さらには東北地方の歴史研究に多くの業績を残した。また,文化財保護にも力を注ぎ,後進を育成した。蔵書の内容もそれを反映し,考古学,歴史研究の基本文献,各地の発掘調査報告書がよく集成されている。その他身辺資料に近いものも含まれている。
 昭和62年に遺族から附属図書館に受け入れられた。
資料説明

4.梅原文庫

 京都大学名誉教授の梅原末治(うめはら すえじ 1890〜1983)の旧蔵書。梅原は東アジア青銅器研究の世界的権威で,日本の銅鐸研究,古墳研究において業績を挙げた。東北帝国大学に新たに設置された法文学部への赴任が内定したところで海外留学に出発したが,留学中に事情が変化し帰国後京都にとどまることとなった。そうした縁で,京都大学退官後勤務していた天理大学を昭和39年(1964)退くにあたり,蔵書の一部を東北大学へ寄贈することを申し出られ,本文庫が成立した。
 文庫の内容は,西洋の考古学に関するものと博物館関係の洋書を主とする。梅原が希望したのは一括して考古学研究室に備えつけることであったため,他と混配せず特殊文庫として独立させた。
 附属図書館には昭和39〜40年にかけて受け入れられ,同48年(1973)に『梅原文庫目録』が完成している。
資料説明

6.狩野文庫

 秋田県大館出身の文学博士狩野亨吉(かのう こうきち 1865〜1942)の旧蔵書である。狩野は、旧制第一高等学校校長(明治31〜39)や京都帝国大学文科大学長(明治39〜41)を歴任し、また江戸時代の学者志筑忠雄、思想家安藤昌益、経世家本多利明を発掘したことでも知られる。
 狩野の蔵書は、狩野の親友で東北帝国大学の初代総長であった沢柳政太郎(1865〜1927)の尽力により東北大学にもたらされた。そのとき狩野は、蔵書を一括かつ東北大学に永久に保管することを条件に譲渡したという。その後狩野が収集した資料も昭和18年3月までに計4次にわたり追加購入あるいは寄贈によって受入れられ、現在では、約108,000冊からなる大コレクションになっている。和漢書古典を主体とする幅広い領域の資料を含み、「古典の百科全書」あるいは「江戸学の宝庫」とも称される。「史記 孝文本紀巻第十」(延久5年(1073)写)および「類聚国史 第二十五」(平安時代末期写)の国宝2点は、この文庫に含まれていたものである。本学指定の貴重書も、その過半は狩野文庫本である。
 和書の線装本については平成3年からマイクロフィルム化が進められ、平成5年に貴重書を含む約55,000冊分のマイクロフィルムによる利用が可能となった。 
資料説明


東北大学附属図書館