東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ |
■10月24日 僕は世の中を一大修羅場と心得てゐる。さうして其内に立つて花々しく打死をするか敵を降参させるかどつちかにして見たいと思つてゐる。敵といふのは僕の主義僕の主張、僕の趣味から見て世の為めにならんものを云ふのである。世の中は僕一人の手でどうもなり様はない。ないからして僕は打死をする覚悟である。打死をしても自分が天分を尽くして死んだといふ慰藉があればそれで結構である。 (明治39年(1906)10月23日(火) 狩野亨吉宛書簡)
(『漱石全集』 第22巻)
僕は洋行から帰る時船中で一人心に誓つた。どんな事があらうとも十年前の事実は繰り返すまい。今迄は己れの如何に偉大なるかを試す機会がなかつた。己れを信頼した事が一度もなかつた。朋友の同情とか目上の御情とか、近所近辺の好意とかを頼りにして生活しやうとのみ生活してゐた。是からはそんなものは決してあてにしない。妻子や、親族すらもあてにしない。余は一人で行く所迄行つて、行き尽いた所で斃れるのである。それでなくては真に生活の意味が分らない。手応がない。何だか生き〔て〕居るのか死んでゐるのか要領を得ない。 (明治39年(1906)10月23日(火) 狩野亨吉宛書簡)
(『漱石全集』 第22巻)
※解説: 狩野亨吉(1865〜1942)は哲学者、教育家。一高校長、京都帝国大学文科大学初代学長などを務めた。漱石は、「狩野さんから手紙が来た。そこで何の用事かと思つて開いて見たら用事でなくて只の通信であつた。夫で僕は驚ろいた」と記し、この日、長文の書簡を2通、狩野に宛てて送っている。 ※関連リンク: 狩野文庫 ※参考文献 |
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