(展観目録第64号)
鉱山展目録
 
 日 時  昭和40年12月8日(水)9日(木) 各12時から16時まで
 会 場  東北大学附属図書館会議室
 
目   録
○ 鉱山各地 附録
1. 石見銀山由来記 嘉永6(1853)写(昭和5 青写真)
2. 石見銀山領略図 写本(彩色)
3. 石見国銀山旧記 大賀吉茹撰(近世社会経済双書8)
4. 石見国銀山留 写本(宝暦から弘化(1751-1847)に至る勘定所宛書留)
5. 生野銀山と生野代官−生野代官より勘定奉行に対する稟伺とその回答− 石川準吉 昭和34
6. 但州生野銀山絵図一帖 誠意稿 (彩色図 説明付)
  生野銀山は、兵庫県朝来(アサゴ)郡にある。開鉱年代は未詳といわれているが、但馬考には天文11年(1542)に発見し、慶長3年(1598)に代官を置いて管理したとある。弘治元年(1555)頃来朝した明人鄭舜功の日本一鑑の窮河話海巻二「珍宝」の項に、金は陸奥、銀は陸奥、但馬、石見等から出るとあるから、その頃既に有名になっていたものと思われる。山元で採出された銀塊は、石州藩船で、播州室津港へ、そこから飾磨御船に引継ぎ、大阪常安橋姫路藩蔵屋敷へ送り届けられた。その船を御銀船と称したが、その輸送は極めて厳重であった。
7. 御銀船記録(海事史料双書7)
8. 佐渡金銀山史話 麗三郎撰 昭和31
9. 佐渡鉱山 金銀採製全図二巻 写本(巻子本 彩色)
  佐渡相川の鉱山は、慶長6年(1601)開鉱。その金銀採製の過程を金銀山岡向同敷内稼方、岡向働方、番所荷買荷分、金銀錬石粉成方、吹方、小判所、後藤座にわけ図説したもの。国書解題に見える「金銀山絵図写本二冊」も同趣向のものであろう。
10. 新潟県北魚沼郡湯之谷村地内銀山全図一枚 桜井喜兵エ製図 原本(彩色)
  本村は只見川水域に属し、左岸は岩代国南会津郡、右岸に本郡の上田銀山がある。但し銀は寛永頃(1624-1643)以後は出ないと云う。
11. 豆州徳倉村鉛鉱之図一枚 写本(彩色)
  本村は同国田方郡に在る。開鉱年代は不明。金銀の製錬、貨幣の改鋳又鉄砲弾に潰された鉛は、江戸初期からの重要な輸入品であった。しかし文化元年(1804)には輸入が絶えている。それは秋田の藤琴、矢櫃村、岩手の十和田等の諸鉱山が逐次開発されたことによるのであろう。しかし今日はきくところがない。
12. 武蔵国雲珠ノ沢鉛山図一枚 写本(彩色)
  武蔵国秩父郡中津川村字雲珠ノ沢鉛山の夏景彩色図で、正保(1644-1647)元禄(1688-1703)の二地図に、中津川金山が記してあり、明和年中(1764-1811)平賀源内が此山に金銀鉱を鑿ったと伝えられ、嘗ては銀鉛鉄をも出したと云う。其後廃る。
13. 出羽 小沢銅山吹方記録十二冊 写本(北林源之丞控と墨書)文化から天保13年(1804-1842)間の記録 図入
14. 阿仁銅山製鉱記 写本(挿画彩色)
  秋田の阿仁には三枚山 七十枚 槇沢 板木沢 加久地の五山があり、尾去沢と共に栄えたが、請山か否か未詳という。
15. 幸生銅山真景 部民立介画 安政6年(1859)稿。巻子本。本巻は泉屋双考
  第十一にいう山形県寒河江市の幸生銅山図。開鉱は天和2年(1682)で、翌年から元禄12年(1699) 泉屋(住友)の稼行行山で、明治になり同店山形店の所管となったが、採鉱は餘り振るわなかったという。
16. 大橋鉄山目録 岩手大学附属図書館編 (謄)
 幕末から明治初年頃までの記録。盛岡 外川文書のうち。
17. 細倉鉱山史 佐藤典正撰 昭和39
18. 「細倉当百」の拓影 (仙台藩貨幣及楮幣図考のうち)
19. 御用鋳銭場図絵一巻 原本(彩色)
  仙台藩の通貨は享保12年(1727)藩主吉村公の時、公許を願い、翌年から寛永通宝を石巻で鋳造した。その鋳銭場の有様がこの一巻で、末記は、享保17年(1732)藩学遊佐木斎(1658-1734)の筆である。なお当市梅津幸次郎氏蔵の「享保13年石巻鋳銭場図」石巻市毛利総七郎氏蔵「石巻鋳銭場廊中全図」(巻子本)「御用鋳銭場図絵」と同工であろうか。何れも原本と称している。阿刀田先生の郷土誌漫筆に、設立場所は石巻新田町で、今も鋳銭場の小名が残っているという。「登米伊達家文書」中の「鋳銭場御造立絵図」は、塩釜に設立計画であったが、実行されたか否かは未詳である。
20. 賀陸奥国出金詔歌 大伴家持作 山田孝雄拓本。附。黄金山神社志料正続二冊 佐々木敏雄編 昭和29
○ 鉱山一般
21. 日本鉱山見物 大和鉱郎撰 大正3
22. 東北鉱山風土記 仙台鉱山監督局編 昭和17
23. 奥羽六県の鉱物第一次 片平量平撰 大正元(末尾缺) 石炭、亜炭、石油、土瀝青以外の鉱物について産地別に編集。
24. 岩手県鉱山誌 岩手県鉱業会編 昭和25
25. 泉屋双考1−5巻 昭和26-9

26. 日本産金史 石川博資撰 昭和13(彩色図版附)
27. 日本鉱業史要 西尾金圭次郎撰 昭和18
28. 明治前 日本鉱業技術発達史 日本学士院編 昭和33

29. 金鉱試掘鉱区図一枚 写本(彩色)
長崎県肥前国東彼杵郡上波佐見村の内 永尾郷三ツ股郷鉱区面積五十二万八千六百八十七坪の図。
30. 鉱山略図 鉱山局編 刊本(彩色)(日本全図)
○ 山相学
31. 山相秘録二巻 佐藤元伯述 同孝伯註 同信淵訂 明治9
32. 新校正山相秘録二巻 同上 写本
○ 採鉱冶金
33. 独歩行(ヒトリアルキ)七巻 写本(挿図彩色) 大吹所基本 金銀山出方御入用差引を附す
34. 鼓鋼図録 増田綱撰 丹羽秘溪(元国)図。 刊本(住友家蔵板) 採鉱から製法用具等を図説す。

35. 泰西七金訳説七冊 馬場貞由訳述 嘉永7年(1860)限定版(二百部限)
  七金とは、金・銀・銅・鉄・水銀・錫・鉛。
○ 朝鮮
36. 永興管下金鉱実験概記 写本(明治18記)
○ 西洋
37. Zwolf Bucher vom Berg- und Huttenwesen, von Georg Agricola (Georg Bauer) 1928.
  (Gアグリコラの採鉱冶金技術書)本巻はドイツ語の限定版で、最初の出版は1556年である。アグリコラ(1494.3.24-1555.11.21)はドイツの鉱山、地質、鉱物学者であると共に又人文学者、医者としても有名でザクセンに生れた。ドイツの都市ヘムニッツにいた時代に、その頃の採鉱冶金技術についての膨大な集大成をまとめあげようと努力した。完成したのは1550年ラテン語名 De re metallica である。内容は273枚の芸術的ともいえる木版画で飾られており、十二巻に分れ、アグリコラ自身の言葉によれば「その第一巻は技術と鉱山及び鉱夫のことについて、反対者が反対するかもしれぬようなことを含んでいる。第二巻は鉱夫はいかにあるべきかについて教えるとともに、鉱脉の発見について論及し、第三巻は鉱脉と土地のすきま及びその陥没を論ずる。第四巻は鉱脈踏査の方法を説明し、鉱夫の使命についても論じ、第五巻は鉱脈のせん孔と鉱坑測量の術を敍述する。第六巻は採鉱の道具と機械を記述する。第七巻は鉱石試験取り扱い、第八巻は鉱石をいかにして精練し、破砕し、洗鉱し、鍜焼するかについて教へ、第九巻は溶鉱の仕方を説明する。第十巻は銀を金から、鉛を金及び銀からいかにして選鉱するかについて鉱山経営者に教える。第十一巻は銀を銅から、選鉱する方法を示す。第十二巻は塩、ソーダ、ミョウバン、硫酸塩、イオウ及びガラスをいかにしてつくるかという指示を与へる」とされている。当時まだ練金術の書が広くひろがっていたのに此の書にはそうした要素は皆無で、もっぱら実際の経験から理論をひきだしている。それはやはりアグリコラの誇らかなルネッサンス精神を示すものといえよう。実際此の書は十八世紀半ばまでヨーロッパ採鉱冶金技術のバイブルとされ、近代的産業の勃興に大きな影響を興えた。