東北大学附属図書館HOME図書館概要活動内容平成15年度企画展
平成15年度東北大学附属図書館企画展
「明治・大正期の文人たち−漱石をとりまく人々−」



(正岡子規 松山市立子規記念博物館提供 無断転載禁止)

■第一部 漱石と子規

 夏目漱石と正岡子規―
 傑出した文学的才能を持つ二人の、比類のない盟友関係は、明治22年(1889)5月、漱石が子規の文集に批評文を寄せたことから本格的に始まる。しかし二人の友情は、その始まりから既に訣別の予感を孕んでいたのではなかったか。同じ頃、子規は肺結核と診断され「余命十年」を覚悟したという。死と隣接する子規と、漱石の友情は、自ずと凝集されたものとなる。
 漱石は、子規の影響により、漢詩文を作り、句作に励み、やがて子規門下の高浜虚子の勧めにより、子規と関係の深い雑誌「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を執筆した。小説家・夏目漱石が誕生する媒介となったのは、正岡子規であった。しかし漱石が小説を書き始める時には、子規は既にない。子規は、漱石が英国に留学していた明治35年(1902)9月に亡くなったのだった。
 「何でも大将にならなけりや承知」せず、漱石を万事「弟扱ひ」にして憚らなかった子規。留学中の漱石へ「僕ハモーダメニナツテシマツタ」と書き送り、「僕ノ目ノ明イテイル内ニ今一便ヨコシテクレヌカ」と漱石からの「倫敦消息」を心待ちにしていた子規。しかし、倫敦の下宿に閉じ籠り、「神経衰弱と狂気」に陥る程に「根本的に文学とは如何なるものぞと云へる問題」を解明しようと格闘する漱石は、さらなる「倫敦消息」を子規に書き送ることは出来なかった。子規の願いを聞き届けることが出来なかったという切実な思いは漱石の内に深い悔いとなって残ったに違いない。その思いから漱石は、『吾輩ハ猫デアル』中篇序に、子規への「往日の気の毒を五年後の今日に晴さう」と記した。だから『吾輩ハ猫デアル』は、子規の「霊前に献上」されたのである。
 第一部では、夏目漱石と正岡子規の出会いと交流、子規の死から小説家・夏目漱石が誕生する過程を中心に、新収資料を交えて紹介する。

■第二部 漱石と同時代の文人たち

 第二部では、漱石(1867-1916)と関係の深かった同時代の文人として、狩野亨吉(1865-1942)、中村不折(1866-1943)、土井晩翠(1871-1952)、ラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)そして魯迅(1881-1936)の5人に注目し、それぞれの主たる著作物と漱石に関連する資料等を取り上げる。
 この中の一人、狩野亨吉は、その思い出「夏目君と私」の中で「夏目君と私と相識ったのは、夏目君が松山へ赴任される少し以前で、山川信次郎君を介してであった」と述べている。漱石の松山赴任は明治28年(1895)4月である。その少し前から漱石は狩野亨吉と知り合い、そして生涯を通じて親しい友人関係を結んだ。
 また土井晩翠は、漱石の東京帝国大学英文学科の後輩であるが、晩翠がまだ第二高等学校在学中に漱石が『哲学雑誌』に書いた「英国詩人の天地山川に対する観念」を驚嘆して読んでいた。漱石と出会ったのは、明治27年(1894)夏、漱石の松島旅行の途中、菖蒲田海水浴場のホテルに於いてであり、「寡言で厳粛な、奥深そうな学者」という印象を受けた。大学入学後にも漱石の下宿を訪ね、部屋一面洋書の堆積ぶりに驚いている。明治34年(1901)の夏、私費でヨーロッパに遊学した晩翠をヴィクトリヤ停車場に出迎えたのは当時英国留学中の漱石であった。鏡子夫人に頼まれた肌着などを届けた晩翠は、漱石と同じ下宿を当面の宿とした。翌年、ロンドンで漱石が非常な神経衰弱に陥った時も、たまたま立ち寄った晩翠は心配して十日程同宿して世話をしている。その後一部誤解もあったようであるが、漱石筆晩翠宛の水彩自画像入りの絵葉書が示しているように、両者の関係は決して険悪なものではなかった。


(狩野亨吉(岩波書店『狩野亨吉遺文集』より)無断転載禁止)



(小宮豊隆 東北大学史料館提供 無断転載禁止)

■第三部 漱石門下と東北帝国大学

 第三部では、漱石の門下生関連資料を中心に、東北帝国大学との関わりを示す資料をも展示する。
 漱石を慕う多くの門下生たちの中で、仙台に足跡を記したのは阿部次郎小宮豊隆である。彼らは、創設まもない東北帝国大学法文学部のスタッフに相次いで加わり、新たな日本文化研究の発信を担った。彼らの活動を反映する蔵書は、それぞれ東北大学に受け入れられ、特殊文庫のうちの阿部文庫、小宮文庫として納められている。この二つの文庫と、漱石の旧蔵書や新たに受け入れた資料の中から、漱石門下生の間の交流、および漱石門下生と東北帝国大学の教官たちとの交流を示す資料を選び、彼らの足跡をたどっていくこととしたい。
 「漱石と仙台の関係」という疑問への答えは、この中から見えてくるだろう。