東北大学附属図書館 絵葉書コレクション 追憶の仙台1

 東北大学附属図書館では、狩野亨吉が収集した、約12000枚からなる絵葉書コレクションを所蔵しています。明治時代から昭和初期にかけての日本各地、世界各国の名所絵葉書は、過ぎ去った時代、いまでは喪われてしまった風景を写したものとしてたいへん興味深いコレクションです。膨大なコレクションの中から、第11回常設展(2003年6月23日(月)〜)での展示に合わせて、仙台市と東北大学に関連のあるものを電子化しました。

宮城県庁

昭和6年に完成。1部地下を持つ鉄筋コンクリート3階建であった。後に中央部の塔などが増築された。

仙台偕行社

陸軍将校の倶楽部として、明治19年に西公園に建てられた。ルネッサン様式の2階の建で、明治41年の東宮東北行啓の折には御座所となった。戦災で焼失。

昭忠碑

昭忠会の事業として明治35年仙台城址本丸跡に建設されたゴシック様式の碑。

林子平・支倉常長・政岡の墓

仙台ステーション

仙台停車場と駅前周辺。路面電車が開通したのは昭和元年のこと。駅前広場には、人力車、銀バス、タクシーが見える。また上部左端には駅前旅館のひとつ「陸奥ホテル」の看板も見える。

東北帝国大学理学部金属材料研究所

鉄鋼研究所時代の大正8年に起工、右手の本館は大正10年に完成した。当初は、半地下を持つ3階建であったが、のちに上に1階を増築した。大正11年官制により、金属材料研究所と改称した。

藩祖伊達政宗卿銅像

昭和10年正宗公三百年祭を開催したときに本丸跡に建てられた。制作は地元の彫刻家小室達。戦時中に供出されたが、実際に溶解されたのは騎馬の部分だけで政宗像部分は戦後打ち捨てられているのが見つかった。現在は仙台博物館に所蔵されている。現在、本丸跡にあるのは昭和39年に復元されたもの。

仙台城址大手御門

仙台城の正門。豊臣秀吉が朝鮮出兵の折、肥前名護屋に建てた陣営の門を初代藩主政宗が拝領して移築したものといわれる。桃山時代の建築様式を残す建物は、昭和6年に国宝に指定されたが、昭和20年7月の空襲で焼失した。右に見える「仙台城址」の碑 は、昭和10年に建てられ、現在も隅櫓の脇にある。

東一番町

仙台の賑わいが国分町から東一番町に移ったのは、仙台停車場ができた影響だと言われる。国分町にあった多くの問屋が衰退していくなかで、藤崎は大町5丁目に移転、いちはやく新商法を採用し、現在の基礎を築いた。左端に「フヂサキキタウリバ」の看板が見える

仙台高等工業学校

明治39年文部省直轄学校として設置。校舎は、明治41年南六軒丁に建てられた。後に東北帝国大学に移管されたが、大正15年6月24日実験室から出火した火事で全焼した。

市街の一部(大正頃)

左手前に仙台日本基督教会堂が見える。この教会堂は明治34年南町通と東二番丁との角に建てられた。設計者はドイツ人リチャード・シール。戦災で焼失した。

市街の一部

左手に七十七銀行の尖塔、中央部に西洋料理店ブラザー軒(明治43年竣工)の塔も見える。手前の校舎は、東二番丁小学校。

市街の一部

芭蕉の辻

南町通りから国分町方面。右手に七十七銀行の塔が見える。七十七銀行の建物は、明治36年に芭蕉の辻東北角に建てられた。ドイツルネッサン式煉瓦石造で、設計者は建築家松ヶ崎萬長。左側には三原時計店の時計台も見える。

芭蕉の辻

大町筋の芭蕉の辻。七十七銀行が左に見える

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