東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■9月3日


 病の重かつた時は、固より其日々々に生きてゐた。さうして其日々々に変つて行つた。自分にもわが心の水の様に流れ去る様がよく分つた。自白すれば雲と同じく且つ去り且つ来るわが脳裡の現象は、極めて平凡なものであつた。それも自覚してゐた。生涯に一度か二度の大患に相応する程の深さも厚さもない経験を、恥とも思はず無邪気に重ねつゝ移つて行くうちに、夫でも他日の参考に日毎の心を日毎に書いて置く事が出来たならと思ひ出した。
(「思ひ出す事など」二十)
(『漱石全集』 第12巻)


※解説: 漱石は明治43年5月頃から胃の不調を訴え、長与胃腸病院で診察を受けた結果、胃潰瘍の疑いありと診断された。当病院に6月中旬から7月下旬まで入院し、8月6日には門下生・松根東洋城の誘いにより、静岡県伊豆修善寺温泉に療養のため出かけた。しかし修善寺温泉に到着後すぐに体調不良を訴え、病の床に就くことになり、8月24日の晩には大量の吐血をし、一時危篤状態に陥った。いわゆる「修善寺の大患」である。「思ひ出す事など」は、帰京後間もない明治43年10月29日から『朝日新聞』に連載された随筆である。
※「漱石文庫」関連資料: 修善寺の大患日記
参考文献



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