東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■9月11日


 子供がぢきに東京へ帰つた。一週間程してから、彼等は各々に見舞状を書いて、それを一つ封に入れて、余の宿に届けた。(中略)
 余は日記の一頁を寐ながら割いて、それに、留守の中は大人しく御祖母様の云ふ事を聞かなくては不可ない、今に序のあつた時修善寺の御土産を届けてやるからと書いて、すぐ郵便で妻に出さした。子供は余が東京へ帰つてからも、平気で遊んでゐる。修善寺の御土産はもう壊して仕舞つたらう。彼等が大きくなつたとき父の此文を読む機会が若しあつたなら、彼等は果して何んな感じがするだらう。
(「思ひ出す事など」二十五)
(『漱石全集』 第12巻)


※解説: 漱石は明治43年5月頃から胃の不調を訴え、長与胃腸病院で診察を受けた結果、胃潰瘍の疑いありと診断された。当病院に6月中旬から7月下旬まで入院し、8月6日には門下生・松根東洋城の誘いにより、静岡県伊豆修善寺温泉に療養のため出かけた。しかし修善寺温泉に到着後すぐに体調不良を訴え、病の床に就くことになり、8月24日の晩には大量の吐血をし、一時危篤状態に陥った。いわゆる「修善寺の大患」である。「思ひ出す事など」は、帰京後間もない明治43年10月29日から『朝日新聞』に連載された随筆である。
※関連資料: 筆子・恒子・えい子宛て書簡の写し(明治43年9月11日)
参考文献



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