東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■8月28日


 強ひて寐返りを右に打たうとした余と、枕元の金盥に鮮血を認めた余とは、一分の隙もなく連続してゐるとのみ信じてゐた。其間には一本の髪毛を挟む余地のない迄に、自覚が働いて来たとのみ心得てゐた。程経て妻から、左様ぢやありません、あの時三十分許りは死んで入らしつたのですと聞いた折は全く驚いた。(中略)実を云ふと此経験―第一経験と云ひ得るかゞ疑問である。普通の経験と経験の間に挟まつて毫も其連結を妨げ得ないほど内容に乏しい此―余は何と云つてそれを形容して可いか遂に言葉に窮して仕舞ふ。余は眠りから醒めたといふ自覚さへなかつた。陰から陽に出たとも思はなかつた。微かな羽音、遠きに去る物の響、逃げて行く夢の匂ひ、古い記憶の影、消える印象の名残―凡て人間の神秘を叙述すべき表現を数え尽して漸く髣髴すべき霊妙な境界を通過したとは無論考へなかつた。たゞ胸苦しくなつて枕の上の頭を右に傾け様とした次の瞬間に、赤い血を金盥の底に認めた丈である。其間に入り込んだ三十分の死は、時間から云つても、空間から云つても経験の記憶として全く余に取つて存在しなかつたと一般である。妻の説明を聞いた時余は死とは夫程果敢ないものかと思つた。さうして余の頭の上にしかく卒然と閃いた生死二面の対照の、如何にも急劇で且没交渉なのに深く感じた。
(「思ひ出す事など」十五)
(『漱石全集』 第12巻)


※解説: 漱石は明治43年5月頃から胃の不調を訴え、長与胃腸病院で診察を受けた結果、胃潰瘍の疑いありと診断された。当病院に6月中旬から7月下旬まで入院し、8月6日には門下生・松根東洋城の誘いにより、静岡県伊豆修善寺温泉に療養のため出かけた。しかし修善寺温泉に到着後すぐに体調不良を訴え、病の床に就くことになり、8月24日の晩には大量の吐血をし、一時危篤状態に陥った。いわゆる「修善寺の大患」である。「思ひ出す事など」は、漱石が修善寺からの帰京後間もない明治43年10月29日から『朝日新聞』に連載された随筆である。
※「漱石文庫」関連資料: 修善寺の大患日記
参考文献



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