東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■8月25日


 安らかな夜は次第に明けた。室を包む影法師が床を離れて遠退くに従つて、余は又常の如く枕辺に寄る人々の顔を見る事が出来た。其顔は常の顔であつた。さうして余の心も亦常の心であつた。(中略)「容体を聞くと、危険なれど極安静にしてゐれば持ち直すかも知れぬといふ」とは、妻の此日の朝の部に書き込んだ日記の一句である。余が夜明迄生きやうとは、誰も期待して居なかつたのだとは後から聞いて始めて知つた。
(「思ひ出す事など」十三)
(『漱石全集』 第12巻)


※解説: 漱石は明治43年5月頃から胃の不調を訴え、長与胃腸病院で診察を受けた結果、胃潰瘍の疑いありと診断された。当病院に6月中旬から7月下旬まで入院し、8月6日には門下生・松根東洋城の誘いにより、静岡県伊豆修善寺温泉に療養のため出かけた。しかし修善寺温泉に到着後すぐに体調不良を訴え、病の床に就くことになり、8月24日の晩には大量の吐血をし、一時危篤状態に陥った。いわゆる「修善寺の大患」である。「思ひ出す事など」は、漱石が修善寺からの帰京後間もない明治43年10月29日から『朝日新聞』に連載された随筆である。
※「漱石文庫」関連資料: 修善寺の大患日記
参考文献



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