東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■8月24日


 斯く多量の血を一度に吐いた余は、其暮方の光景から、日のない真夜中を通して、明る日の天明に至る有様を巨細残らず記憶してゐる気でゐた。程経て妻の心覚に付けた日記を読んで見て、其中に、ノウヒンケツ(狼狽した妻は脳貧血をを斯の如く書いてゐる)を起し人事不省に陥るとあるのに気が付いた時、余は妻を枕辺に呼んで、当時の模様を委しく聞く事が出来た。徹頭徹尾明瞭な意識を有して注射を受けたとのみ考へてゐた余は、実に三十分の間死んでゐたのであつた。
(「思ひ出す事など」十三)
(『漱石全集』 第12巻)


※解説: 漱石は明治43年5月頃から胃の不調を訴え、長与胃腸病院で診察を受けた結果、胃潰瘍の疑いありと診断された。当病院に6月中旬から7月下旬まで入院し、8月6日には門下生・松根東洋城の誘いにより、静岡県伊豆修善寺温泉に療養のため出かけた。しかし修善寺温泉に到着後すぐに体調不良を訴え、病の床に就くことになり、8月24日の晩には大量の吐血をし、一時危篤状態に陥った。いわゆる「修善寺の大患」である。「思ひ出す事など」は、漱石が修善寺からの帰京後間もない明治43年10月29日から『朝日新聞』に連載された随筆である。
※「漱石文庫」関連資料: 修善寺の大患日記
参考文献



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