東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■7月24日


 世の中が恐しき由、恐しき様なれど存外恐ろしからぬものなり。もし君の幣を言はゞ学校に居るときより君は世の中を恐れ過ぎて居るなり。君は家に居つておやぢを恐れ過ぎ。学校で朋友を恐れ過ぎ卒業して世間と先生を恐れ過ぐ。(中略)
 世を恐るゝは非なり。生れたる世が恐しくては肩身が狭くて生きて居るのが苦しかるべし。
(明治39年7月24日(火) 中川芳太郎宛て書簡)
(『漱石全集』 第22巻)



 次の日私は先生の後につゞいて海へ飛び込んだ。さうして先生と一所の方角に泳いで行つた。二丁程沖へ出ると、先生は後を振り返つて私に話し掛けた。広い蒼い海の表面に浮いてゐるものは、其近所に私等二人より外になかつた。さうして強い太陽の光が、眼の届く限り水と山とを照らしてゐた。私は自由と歓喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂つた。先生は又ぱたりと手足の運動を已めて仰向になつた儘波の上に寐た。私も其真似をした。青空の色がぎら/\と眼を射るやうに痛烈な色を私の顔に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな声を出した。
(『こゝろ』三)
(『漱石全集』 第9巻)


参考文献



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