東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■6月27日


 文章は苦労すべきものである人の批評は耳を傾くべきものである。たま/\一篇を草して世間庸衆の誉を買つたとて亳も誇るに足らんのみか却つて其人をスポイルして仕舞ふのみだ。
(明治38年6月27日(火) 野村伝四宛て書簡)
(『漱石全集』 第二十二巻)



 誰か慌たゞしく門前を駈けて行く足音がした時、代助の頭の中には、大きな俎下駄が空から、ぶら下つてゐた。けれども、その俎下駄は、足音の遠退くに従つて、すうと頭から抜け出して消えて仕舞つた。さうして眼が覚めた。
 枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちてゐる。代助は昨夕床の中で慥かに此花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更けて、四隣が静かな所為かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋のはづれに正しく中る血の音を確めながら眠に就いた。
(「それから」第一回(一の一))
(『漱石全集』 第巻)


※「それから」は、東京朝日新聞に明治42年6月27日から10月14日まで連載された。
『それから』
参考文献



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