東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■3月6日


 忽ち足の下で雲雀〔ひばり〕の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いているか影も形も見えぬ。只声だけが明らかに聞える。せつせと忙〔せわ〕しく、絶間なく鳴いて居る。方幾里の空気が一面に蚤に刺されて居たゝまれない様な気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の余裕もない。のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、又鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。其上どこ迄も登つて行く、いつ迄も登つて行く。雲雀は屹度〔きつと〕雲の中で死ぬに相違ない。登り詰めた揚句は、流れて雲に入つて、漂ふて居るうちに形は消えてなくなつて、只声丈が空の裡に残るのかも知れない。
(『草枕』一)
(『漱石全集』 第3巻)


※『草枕』は、雑誌『新小説』第11年第9巻(明治39年9月)に発表され、単行本『鶉籠』(明治40年1月)に収められた。
参考文献



Copyright(C) 2009 Tohoku University Library 著作権・リンクについて