東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■1月30日


 忘れてゐたが彼と僕と交際し始めたも一つの原因は二人で寄席の話をした時先生も大に寄席通を以て任じて居る。ところが僕も寄席の事を知つてゐたので話すに足るとでも思つたのであらう。其から大に近よつてきた。
 彼は僕には大抵な事は話したやうだ。(其一二例省く。)兎に角正岡は僕と同じ歳なんだが僕は正岡ほど熟さなかつた。或部分は万事が弟扱ひだつた。従つて僕の相手し得ない人の悪い事を平気で遣つてゐた。すれつからしであつた。(悪い意味でいふのでは無い。)
(夏目漱石「正岡子規」)
(『漱石全集』 25巻)

 余知吾兄久矣而与吾兄交者則始于今年一月也余初来東都求友数年未得一人及知吾兄乃窃有所期而其至辱知已而憶前日其所得于吾兄甚過前所期矣於是乎余始得一益友其喜可知也
(余、吾が兄を知ること久し。しこうして吾が兄と交わるは、すなわち今年一月に始まるなり。余の初め東都に来るや、友を求むること数年、いまだ一人をも得ず。吾が兄を知るに及んで、すなわちひそかに期するところあり。しこうしてその知を辱〔かたじけな〕くするに至り、すでに前日を憶えば、その吾が兄に得るところは、はなはだ前〔さき〕に期するところに過ぎたり。ここにおいてか、余は始めて一益友を得たり。その喜び、知るべきなり。)
(正岡子規 「『木屑録』評」)
(『子規選集第9巻 子規と漱石』)


※漱石と子規は、明治22年(1889)1月頃から親しく交流するようになった。第一高等中学校在籍中のことである。
参考文献

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