東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■1月1日


 明けて元日のことでした。私は妹二人と三台の俥を連らねて、矢来のお祖父様のところへ年始に参ります途中、神楽坂の寄席の前迄来ると、反対の方から俥にのつて莨を喫かして来る紳士があります。すれ違ひに見るとたしかに二三日前に見合ひをした夏目です。御時儀をしたものかしないものか、たつた一度會つてまだ碌々顔も覚えないのに、たしかにさうとは思ふけれども若し間違つてゐたらどうしよう、そんなこんなの娘心で思ひ迷つてゐるうちに、俥と俥とは平気ですれ違つて向うの俥の人はすまし込んでゐて微動だもしません。はてやはり他人の空似かしらと思ひなほして居りますと、妹の時子が明るい声をかけます。
 「ちよいと/\、お姉さん、さつきの人たしかに夏目さんね、見た?」
 「えゝ、たしかにさうよ、ずゐぶんすましてゐたわね。」
 「さうよ、ずゐぶんのおすましね。」
 これも後で聞いたのですが、勿論先方でも気がついてゐたのださうですが、此方から左きに女に礼をするのは不見識だ、いづれ女の方からするだらうから、さうしたらしてやらうと待ち構へてゐたのだと申して居りました。
(夏目鏡子・述、松岡譲・筆録『漱石の思ひ出』)


※明治29年(1896)の出来事。この年、漱石は29歳。漱石は前年の12月28日、中根鏡子と見合いをしていた。



 私の家には老人もなく、別にやかましく云ふものもなく、私が主人で、私が祖先のやうになつて居ますから、無理に古きを追わねばならぬと云ふ事もありませんから、平素の生活が簡易である如く、正月も矢張り簡単で、頗る気楽であります。元旦だからとて、皆が手をついて、おめでたうといふまでもなく、只だ屠蘇を飲み、雑煮を喰つて、新春を祝ふ位なものです。
(談話「私のお正月」)
(『漱石全集』第25巻)


※初出は、『明治之家庭』5巻1号(明治42年1月1日)。この年、漱石は42歳。



 去年は「元日」と見出しを置いて一寸考へた。何も浮んで来なかつたので、一昨年の元日の事を書いた。一昨年の元日に虚子が年始に来たから、東北と云ふ謡をうたつたところ、虚子が鼓を打ち出したので、余の謡が大崩になつたといふ一段を編輯へ廻した。実は本当の去年の元日なら、余の謡はもつと上手になつてる訳だから、其の上手になつた所を有の儘に告白したかつたのだが、如何せん、筆を執つてる時は、元日にまだ間があつたし、且虚子が年始に見えるとも見えないとも極まつてゐなかつた上に、謡をうたふ事も全然未定だつたので、営業上已を得ず一年前の極めて告白し難い所を告白したのである。
(「元日」)
(『漱石全集』 第12巻)


※「元日」は、明治43年の『東京朝日新聞』1月1日に掲載された。この年、漱石は43歳。「去年は「元日」と見出しを置いて一寸考へた」とあるのは、明治42年の『東京朝日新聞』1月1日掲載された「元日」を指している。

参考文献


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