東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■12月31日


 帰省後は如何病躯は如何読書は如何執筆は如何、如何にして此長き月日を短く暮しめさるゝやけふは大三十日なりとて家内中大さわぎなるに引きかへ貧生のありがたさは何の用事もなく只昼は書に向ひ夜は床の中にもぐりこむのみ気取りて申さば閑中の閑、静中の静を領する也
(明治22年12月31日(火) 正岡子規あて書簡)
(『漱石全集』 第22巻)


※明治22年(1889)、松山に帰郷中の子規にあてた書簡。漱石、子規ともに22歳。二人はこの年の1月頃から急速に親しくなり、盛んに手紙を交わしていた。



 除夜の夢は例年の通り枕の上に落ちた。斯う云ふ大患に罹つた揚句、病院の人となつて幾つの月を重ねた末、雑煮迄こゝで祝ふのかと考へると、頭の中にはアイロニーと云ふ羅馬字が明らかに綴られて見える。夫にも拘はらず、感に堪えぬ趣は少しも胸を刺さずに、四十四年の春は自づから南向の縁から明け放れた。さうして町井さんの予言の通り形ばかりとは云ひながら、小さい一切の餅が元日らしく病人の眸に映じた。余は此一椀の雑煮に自家頭上を照すある意義を認めながら、しかも何等の詩味をも感ぜずに、小さな餅の切を平凡にかつ一口に、ぐいと食つて仕舞つた。
(「病院の春」)
(『漱石全集』 第12巻)


※漱石は、明治43年(1910)8月24日に修善寺で大吐血をし、一時危篤状態に陥った。帰京後は、東京の長与胃腸病院で療養し、病院で正月を迎えた。

参考文献


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