東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■12月3日


○生きて居るときはひな子がほかの子よりも大切だとも思はなかつた。死んで見るとあれが一番可愛い様に思ふ。
○表をあるいて小い子供を見ると此子が健全に遊んでゐるのに吾子は何故生きてゐられないのかといふ不審が起る。
(中略)
○自分の胃にはひゞが入つた。自分の精神にもひゞが入つた様な気がする。如何となれば回復しがたき哀愁が思ひ出す度に起るからである。
○また子供を作れば同じぢやないかと云ふ人がある。ひな子と同じ様な子が生れても遺恨は同じ事であらう。愛はパーソナルなものである。(中略)其人自身に対する愛は之よりベターなものがあつても移す事が出来ないものである。
(明治44年(1911)12月3日(日) 日記)


※解説: ひな子(雛子)は、明治43年(1910)3月2日に漱石の五女として生れたが、明治44年11月29日に突然亡くなった。ひな子の死は漱石に大きな衝撃をもたらしたと言われ、その死は『彼岸過迄』「雨の降る日」に幼児(宵子)の急死として描かれている。明治44年11月29日(水)から12月5日(火)までの漱石の日記には、連日のように、ひな子を喪った漱石の心情が記されている。
※「漱石文庫」関連資料: 日記及断片
参考文献



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