東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■12月27日


 新年の頭を拵らえやうといふ気になつて、宗助は久し振に髪結床の敷居を跨いだ。暮の所為か客が大分立て込んでゐるので、鋏の音が二三ヶ所で、同時にちよき/\鳴つた。此寒さを無理に乗り越して、一日も早く春に入らうと焦慮るやうな表通の活動を、宗助は今見て来たばかりなので、其鋏の音が、如何にも忙しない響きとなつて彼の鼓膜を打つた。
(『門』十三の一)



 年の暮に、事を好むとしか思はれない世間の人が、故意と短い日を前へ押し出したがつて齷齪する様子を見ると、宗助は猶の事この茫漠たる恐怖の念に襲はれた。成らうことなら、自分丈は陰気な暗い師走の中に一人残つてゐたい思さへ起つた。
(『門』十三の一)



 通町では暮の内から門並揃の注連飾をした。往来の左右に何十本となく並んだ、軒より高い笹が、悉く寒い風に吹かれて、さら/\と鳴つた。宗助も二尺余りの細い松を買つて、門の柱に釘付にした。それから大きな赤い橙を御供の上に載せて、床の間に据ゑた。床には如何はしい墨画の梅が、蛤の格好をした月を吐いて懸つてゐた。宗助には此変な軸の前に、橙と御供を置く意味が解らなかつた。
(『門』十五の一)



 伸餅は夜業に俎を茶の間迄持ち出して、みんなで切つた。包丁が足りないので、宗助は始から仕舞迄手を出さなかつた。力のある丈に小六が一番多く切つた。其代り不同も一番多かつた。中には見掛の悪い形のものも交つた。変なのが出来るたびに清が声を出して笑つた。
(『門』十五の一)



 御米は其時もう框から下り掛けてゐた。すぐ腰障子を開ける音がした。宗助は其音を聞き送つて、たつた一人火鉢の前に坐つて、灰になる炭の色を眺めてゐた。彼の頭には明日の日の丸が映つた。外を乗り回す人の絹帽子の光が見えた。洋剣の音だの、馬の嘶だの、遣羽子の声が聞えた。彼は今から数時間の後又年中行事のうちで、尤も人の心を新にすべく仕組まれた景物に出逢はなければならなかつた。
(『門』十五の二)
(以上、引用はすべて『漱石全集』 第6巻)


※『門』は、明治41年(1908)3月1日〜6月12日まで東京・大阪の『朝日新聞』に連載された。『門』では、宗助と御米の夫妻が静かに正月を迎える様が描かれている。

参考文献


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