東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■12月16日


 其日は向島の知人の家で忘年会兼合奏会がありまして、私もそれへワ"イオリンを携へて行きました。十五六人令嬢やら令夫人が集つて中々盛会で近来の快事と思ふ位に万事が整つて居ました。晩餐も済み合奏も済んで四方〔よも〕の話しが出て時刻も大分遅くなつたから、もう暇乞をして帰らうかと思つて居ますと、某博士の夫人が私のそばへ来てあなたは○○子さんの御病気を御承知ですかと小声で聞きますので、実は其両三日前に逢つた時は平常の通り何所も悪ひ様には見受けませんでしたから、私も驚ろいて精しく様子を聞いて見ますと、私の逢つた其晩から急に発熱して、色々な譫言を絶間なく口走るさうで、其れ丈なら宜いですが其譫言のうちに私の名が時々出て来るといふのです」
 主人は無論、迷亭先生も「御安くないね」抔といふ月並は云はず。静粛に謹聴して居る。
(『吾輩は猫である』二)


※解説: 「吾輩は猫である」は、明治38年(1905)1月から明治39年(1906)8月まで、『ホトトギス』に10回にわたり掲載され、大倉書店・服部書店より単行本が刊行された。
 理学士の寒月君が語る神秘的な体験からの引用。
※作品を読む: 『吾輩は猫である』
参考文献



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