東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■12月1日


 啓。子規病状は毎度御恵送のほとゝぎすにて承知致候処、終焉の模様逐一御報被下奉謝候。小生出発の当時より生きて面会致す事は到底叶ひ申間敷と存候。是は双方とも同じ様な心持にて別れ候事故今更驚きは不致、只々気の毒と申すより外なく候。
(明治35年(1902)12月1日(月) 高浜虚子宛書簡)


※解説: 正岡子規(1867〜1902)は、漱石がイギリス留学中の明治35年(1902)9月19日に亡くなった。子規逝去の報せは、漱石が帰国する僅か数日前に高浜虚子より届いた。子規の死を知った漱石は、「倫敦にて子規の訃を聞きて」として「筒袖や秋の柩にしたがはず」、「手向くべき線香もなくて暮の秋」、「霧黄なる市に動くや影法師」、「きり/\”の昔を忍び帰るべし」、「招かざる薄に帰り来る人ぞ」と詠んだ。
参考文献



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