東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■11月18日


 歯痛が自から治まつたので、秋に襲はれる様な寒い気分は、少し軽くなつたけれども、やがて御米が隠袋〔ぽつけつと〕から取り出して来た粉薬を温ま湯に溶いて貰つて、しきりに含嗽〔うがい〕を始めた。其時彼は縁側へ立つた儘、
 「何うも日が短くなつたなあ」と云つた。
 やがて日が暮れた。昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵の口から寂としてゐた。夫婦は例の通り洋燈の下に寄つた。広い世の中で、自分達の坐つてゐる所丈が明るく思はれた。さうして此明るい灯影に、宗助は御米丈を、御米は又宗助丈を意識して、洋燈の力の届かない暗い社会は忘れてゐた。彼等は毎晩かう暮らして行く裡に、自分達の生命を見出してゐたのである。
(『門』五の四)
(『漱石全集』 第六巻)


※解説: 『門』は、明治43年3月1日から6月12日まで『東京朝日新聞』に連載され、単行本は、明治44年1月1日春陽堂から発行された。
参考文献



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