東北大学附属図書館 夏目漱石ライブラリ


■10月29日


 「思ひ出す事など」は忘れるから思ひ出すのである。漸く生き残つて東京に帰つた余は、病に因つて纔かに享け得た此長閑な心持を早くも失はんとしつゝある。(中略)「思ひ出す事など」は平凡で低調な個人の病中に於ける述懐と叙事に過ぎないが、其中には此陳腐ながら払底な趣が、珍しく大分這入つて来る積であるから、余は早く思ひ出して、早く書いて、さうして今の新らしい人々と今の苦しい人々と共に、此古い香を懐かしみたいと思ふ。
(「思ひ出す事など」四)
(『漱石全集』 第12巻)


※解説: 漱石は明治43年5月頃から胃の不調を訴え、長与胃腸病院で診察を受けた結果、胃潰瘍の疑いありと診断された。当病院に6月中旬から7月下旬まで入院し、8月6日には門下生・松根東洋城の誘いにより、静岡県伊豆修善寺温泉に療養のため出かけた。しかし修善寺温泉に到着後すぐに体調不良を訴え、病の床に就くことになり、8月24日の晩には大量の吐血をし、一時危篤状態に陥った。いわゆる「修善寺の大患」である。「思ひ出す事など」は、帰京後間もない明治43年10月29日から『朝日新聞』に連載された随筆である。
※「漱石文庫」関連資料: 修善寺の大患日記
参考文献



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